ILCOR設立の経緯

ILCOR(International Liaison Committee On Resuscitation:国際蘇生連絡委員会)は1992年に世界各地の蘇生協議会が各自で活動していることを統合する目的で設立された。この組織への参加資格は、近隣地域の複数国家で構成されている団体であること、学際的組織であること等で、ある程度のゆるやかな取り決めでスタートした。

ILCOR設立がヨーロッパで発議されたのには、AHA(America Heart Association:米国心臓協会)の影響がある。AHAは1974年に、膨大なデータと実践に伴う蘇生の”Standard”をJAMA(The Journal of the American Medial Association:米国医師会雑誌)に発表し世界中に大きなインパクトを与えた。AHAはこの全世界に通用する蘇生法ガイドラインを出版物として6年毎(1980年、1986年、1992年)に改訂しながら、それぞれの時代にマッチした最新の蘇生法を紹介した。

同時代にヨーロッパ各国はAHAの蘇生法ガイドラインを各国の実情にマッチさせて導入していたが、これらを1992年にERC(European Resuscitation Council:ヨーロッパ蘇生協議会)が主導して、ヨーロッパの独自性を残しつつ各国が共通の蘇生法を利用できるマニュアルを作成する機運が高まった。その頃オーストラリア、南アフリカでも蘇生法の内容を世界レベルに近づける機運が高まった。

1992年、AHAは蘇生法ガイドラインを改訂するにあたりアメリカにとどまらない世界共通のガイドラインにすることを考えた。1992年のAHAガイドラインの作成会議には、全参加者の28%にあたる42ヶ国が参加した。そして国際的組織として将来の世界の蘇生法をリードする意義が討議され、組織の創立のプランがねられた。同年秋にイギリスで開催されたERCのシンポジウムでILCOR設立会議が持たれ、正式にILCORが設立された。

同年ノルウェーのウツタインでCPR(cardiopulmonary cerebral resuscitation:心肺脳蘇生術)の結果分析方法を世界共通にする「ウツタイン方式」の会議があったこともILCOR創立の大きな動機付けになった。

ILCOR発足時の参加団体の公式メンバー構成はAHA人、ERC6人、オーストラリア・ニュージーランド3人、カナダ1人、南アメリカ1人である。

ILCORの使命

この設立にあたり、BLS(Basic Life Support:1次救命処置)、PLS(Pediatric Life Support:小児1次救命処置)、ACLS(Advance Cardiovascular Life Support:2次救命処置)に関する国際的共通見解を踏まえ、ILCORの使命を次のようにした。

『国際的レベルでの緊急心循環管理に関するScienceとKnowledgeを集約し、解析して合意された意見を発信する』

『CPRの教育、訓練の効率向上に関する情報と、ECC(Emergency Cardiac Care:緊急心処置)の地域組織構築に関する必要な情報を発信する』

もっとも大切な原則はBLS、PLS、ACLSについてのScienceが基盤になっているため、国際的な評価に耐えることをうたった点である。

ILCORは各国蘇生協議会の独自のガイドライン作成を援助するが、このILCORの根本原則からは逸脱しないことを求めている。

ILCOR会議は1992年から毎年2回、アメリカとヨーロッパの順で開催されることになった。2002年のオーストラリアや2003年のブラジルでの開催は例外である。

数回に渡る会議で集約された結論は、あくまでEvidenceに基づくことが大原則であるので、蘇生に関する研究文献を評価して、以下の基準で文献自体の内容をクラス分けする方式が採用された。

  • クラス I  :確実に有効
  • クラス II a :かなりの確率で有効
  • クラス II b :多分有効
  • クラス III :未結論、有害の可能性

JRC設立

ILCORは新しいScienceが蓄積したらガイドラインを改訂することも謳っており、各地域の協議会が地域の医療、制度、経済、文化レベルに応じて独自のガイドラインを作成することは問題ないとして、ILCORの出版物の題名はILCOR Advisory Statementとしている。ILCORの最初のAdvisory Statementは雑誌Circulation(1997)、雑誌Resuscitation(1997)に発表された。

この世界規模のガイドラインを基にして広く世界各地の蘇生研究が発掘され、英語以外の言語による発表内容が加わり、また複数国による多施設共同診療成績も集め易くなり、より国際性が高まることが期待された。
この流れを受けて1998年のAHAのガイドラインに国際性を持たす作業が2000年にずれ込み、ILCORとAHAの協同作業で8年間かけてガイドライン2000の出版にこぎつけたわけである。
日本からは1999年からこの作成に参加していたが、ILCOR会議への出席のための日本の代表を送る必要もあってJRCが設立されたことになる。

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